量子論


量子化(エネルギーの最小単位が存在するとする)されたものは粒子と波動の2つの性質を持つ。量子化されたものは量子と呼ばれ、例えば電子がそうである。
以下電子で考える。電子は粒子であり、同時に波動性ももつ。この波動の意味は電子という粒子の空間と時間における存在確率を意味すると解釈されている(ボルンの確率解釈)
この存在確率を表す波をφとしたとき一般に複素数として表される。(実際は規格化し、そのうえでφの2乗が存在確率を表す)
そしてこのφを導く方程式がシュレーディンガー方程式であり、これに境界条件を課し何とかして解いていく学問が量子力学ということになる。

ここで重要なのはあくまでも電子の空間と時間における存在確率しかわからないということである。観測という行為をしたときそこに電子が観察されるかどうかは、さだかではないということである。 あくまでも確率なので、その空間と時間における存在確率が0でなければ、どこにでも観測しうるということである。まるで神がさいころをふって電子の位置を決めているのである。

ここでこの存在確率と観測された電子をつなぐ解釈が2種類ある。1つはかの有名なコペンハーゲン解釈、もう1つは多世界解釈である。

コペンハーゲン解釈では、観測まえの存在確率の広がりが、観測によってある時間を含めた位置に収縮すると解釈する。(下図)

           コペンハーゲン解釈

一方多世界解釈では存在確率に従って世界が分岐するとしている。そして分岐された各々の世界はデコヒーレンスなのである。つまり人間は他の世界を観測できない。(下図)

           多世界解釈

人間が観測不可能ということはコペンハーゲン解釈が正しいか、それとも多世界解釈が正しいか証明不能ということになる。つまりこの論争事態に決着はつかないということになる。 個人的にはストーリー的に多世界解釈の方が面白いように思える。

結論を言えばどっちの解釈でも害はないように思える。どっちを信じるかはもはや宗教の世界と同じということである。


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