絶対的正義

は自分自身が理解できない行動や考え方をする人に対し「頭がおかしい」「馬鹿だ」「狂ってる」「変わっている」というような言葉を口にする傾向にある。 これは自分が大学時代、いろんな人を観察してきて本当に多くの人が言っている。(もしかしたら自分も言っていたのかもしれない)

らはどうしてそんなふうに言ってしまうのだろうか。理由ははっきりしている。 自分達が一般的で、そして平均的であり正しいと勝手に思い込んでいるからである。 だから平均的な自分達が理解できない人というのは、理解不能でありえなくておかしい存在になってしまう。もっといえば怖いのである。 これは人がお化けを怖がる心理と非常に類似していると思う。 人がお化けを怖がるのはその存在が理解できないからである。


分達が平均的だと思い込んでいる人達(他人に対して「頭がおかしい」だとか「変わっている」と言う人達)は総じて勘違いしていることがある。


れは 「世の中には絶対的正義が存在している」と勘違いしていることである。 少し飛躍したのでもう少し具体的に説明する。

る人(A)が別の人(B)の行動に対して「君はおかしい。頭大丈夫」と言ったとしよう。この時のAの頭の中をみてみるとこうである。

「自分(A)だったらBのような行動なんてありえない。自分がとったであろう行動は正しいつまり正義。 だって自分はまともな考えをもってる人間。そんな自分がとらない行動をBはしているのだから、Bは頭がおかしいんだな」

の時Aは自分が正しい、つまり自分が絶対的正義であるとしたためにこのような言動をとってしまったことになる。

こからわかるように、他人に対して「頭がおかしい」だとか「変わっている」と言う人達は絶対的正義が存在していると勘違いしているのである。だからそのような言動をするのである。





こで「絶対的正義」についてキチンと定義するとこのような感じになるのではないかと自分は考えている。
「あらゆる時代のあらゆる人種つまり人間全員が正しいとするもの=絶対的正義」

対的正義が存在しないという根拠は人類の中で最も極端な事柄である「戦争や人殺し」について考えてみればよい。 今の世の中だったら「戦争」や「戦争以外での人殺し」は悪であり、しないことが絶対的正義とされている。 しかしちょっと前までは、戦争は正義であったし(今も一部の人は正しいと思っているかもしれない)、日本に仇討という制度があったことを考えれば人殺しは認められていた時代もあった。今の世の中は進歩したからそういうのはなくなったのだという人もいるが、進歩したと言う根拠は?と聞きたい。 ただそう思うのは今の世の中がそう言っているからなのではないのか。 今の世の中も100年前の世の中も等価なものである。なにも今の方が優れていると言うなんてできない。


の世の中に絶対的正義など存在しないと気づいた時、人の行動や言動におかしいものなど一つもないということに気づいた。 だから自分は基本的に他人の行動は認めるし(ある条件のもと※下参照)、認めないということ(他人に対して「頭がおかしい」だとか「変わっている」と言う人達)は傲慢であると思っている。

だこの方針を徹底的に追及すれば、何もかも許される無法地帯になってしまう。これについては自分は好ましくないと考えている(いいか悪いかではない)。 だからこの方針はあくまでも今の日本の法律で認められている領域を超えてはならないと自分に縛りをかけている。逆にいうと法律に引っかからない行動は全て認めるということでもある。





2012年7月25日 26時30分 東山の下宿にて

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